このテキストは、2017年12月23日に行われたアメディアフェアでの講演をUDトークで記録したものです。 バリアフリー講演 対話こそ共生社会を開く鍵。障害者差別解消法と私たちの暮らし。 (講師:弁護士 大胡田誠様) 司会(美月めぐみ):はい、皆様お待たせいたしました。 アメディアフェア三つ目の講演、 対話こそ共生社会を開く鍵  障害者差別解消法と私たちの暮らしというかお塩は始めます。 この公演は、バリアフリー講演です。 講師の声をUDトークというアプリを使って文字に変換し、会場前方に字幕をいたします。 本日アメディアフェアに出展しているShamrock Records株式会社様のご協力で実施しています。 それでは、 講演に入ります。 お話しいただきますのは、弁護士大胡田誠様です。 それでは大胡田様、よろしくお願いいたします。 大胡田:ありがとうございます。 ご紹介いただきました弁護士の大胡田誠と申します。どうぞよろしくお願いいたします。 ありがとうございます。 今美月さんがねご紹介いただきましたUDトークというのは大変ね画期的なシステムだなと思うわけでございまして、さっき打ち合わせをShamrock Recordsの青木さんとしてましたらですねだいたい普通の会話だったら100%認識しますよなんていうんですよね。 そんなこと言われちゃうと本当かなっていう試したい気持ちが湧いてきちゃいますよね。 これ今ですね自動認識+人の手の修正もかけてるんですけど、本当にどの程度のものかっていうのをやってみようかな。私は弁護士の大胡田です。オーダー子弁護士でも大ぼら弁護士でもありません。 さて、どんなもんですか。 何とか何とかなってると思います。 そんなね大胡田というちょっと珍しい名前の弁護士でございます 私はですね日本で3番目の全盲の弁護したということになっておりまして、 1人目が竹下芳樹弁護士京都のね竹下弁護士で2人目は東京の渡辺学弁護士で三人目がわたくし大胡田とで、今ではこの次にですね田中弁護士愛知県の田中弁護士と言う 弁護士になっておりますので、おそらく今全盲で弁護士になって、司法試験に合格した弁護士というのはね全国4人ではないだろうかというふうに思います。 今私は弁護士になって10年目を迎えたんですね。 弁護士とね一言で申しましてもいろんな得意分野を持っている弁護士がいます。 例えば、よくテレビドラマなんかに出てくる弁護士は刑事裁判の弁護をしていますよね。 殺人事件や傷害事件、そういった事件を起こしてしまった犯人あるいは犯人だと疑われてる方の弁護をしている。 そして、法廷で裁判官に向かって異議あり。なんてね、そんなふうにやっている。 そんなシーンをご覧になった方も多いんじゃないかなというふうに思います。 刑事事件といえばですね、以前私が書いた本、全盲の僕が弁護士になった訳という本があるんですが、この本もですね実はテレビドラマになりまして、3年ほど前にドラマ化されたんですね。 この本の内容自体は、 そんなサスペンスなものではないんですけれども、ドラマになったらね、サスペンスドラマになってましたね。 全盲の弁護士がある殺人事件の真犯人を突き止めていくという、そんなですねサスペンスドラマになっておりました。 全盲小野弁護士の役はですね、若手イケメン俳優松坂桃李さんという方がね熱演してくださいました。 日本の俳優が視覚障害者を演ずるときは、大抵はサングラスをかけたりとかあとは目をじっと閉じて、そして目が見えないっていうことを表現することが多いようなんですけれども松坂さんの場合にはね私をモデルにしたということもありまして、 目を閉じないで目を開けたままで。だけれども、なおかつ目が見えていないっていう、それは非常に難しい演技に挑戦されました。 目が見える方はだいたい何か動くものがあると自然に視線がそっちを向いてしまうらしいんですね。 ですがあえてそれを動かさないっていうねそんな演技に挑戦されて、実際に画面を見た方によりますと、本当に彼は目が見えていないのではないかと思うようなね、そんなリアルな演技だったようですね。 でも本当ドラマっていうのはね、いろんな影響があるものでございまして、 このドラマの中で、松坂さん扮する全盲の弁護士がある女性の香水の匂いを嗅いでねそれで浮気を見破ったという、そんなシーンがあるんです。 だけどこれ実はフィクションでね。私はまだ女性の香水の匂いでね、分かったことはないんだけども 言われましてですね。 ドラマになっちゃうとなんかね、いかにも真実だというふうに思われてしまうようでねこのドラマを見た方から結構しばらくですね大胡田ちょっと匂い嗅いでみて、って みんな結構後ろぐらい後ぐらい生活をしてるんだなと思ったわけでございますけれども、 ねえ、警察犬じゃないんだからね。 むしろ私はですね、街歩いていていいにおいの女の人なんかいるとなんかそれだけでも魅力的な人に思っちゃいますからね。 本当にそれで事実を それどうでもいい話ですね。 当てるというのはできないわけで、むしろでもですねのいい匂いの女の人は私も大好きでございます。 そんなね、刑事事件をたくさん取り扱っている弁護士がいるかなと思いますとね一方で、大きな会社の顧問弁護士なんてのもいますよね。 株式会社アメディアくらいになりますとね、立派な顧問弁護士はいると思いますけど。 こういった今弁護士はですね。 毎日何千万円とか何億円そんな大きな額の取引を締結したり、企業の合併や買収、これM&Aなんて言いますよね。M&Aなんていうのを手がけるのは得意なんだ。そんな弁護士もいる。 あとは、数はさほど多くはないですけれども、テレビのワイドショーのコメンテーターになったりとか、行列のできる法律相談所といった番組出演してお茶の間の人気者になる。 こんな弁護士もいますね。 こんな弁護士を業界的には若干、やっかみも込めて、タレ弁なんて言っております。 これちゃんと文字になってんですかねあれ。 なるほど修正した方がいいと思いますねこれね。 大丈夫かね。 UDトーク怖いすね変なこと言いませんねえ。これタレント弁護士の略で、 タレ弁というんですね。 町の弁護士の町弁ですねマチ弁というのがちょっとぴったりかと思います。 私はどんな弁護士なんだろうかといいますとね、私の場合には町弁ですね。 ですので、私のところに来てくれるお客さんのほとんどは一般市民の皆さんなんですね。 一般市民の方が直面する法律的なトラブルってどんなものがあるかというと、例えば離婚や相続、そういった家族間、親族間のトラブル。 あとは交通事故に遭ってしまったとかね。あるいは交通事故を起こしてしまった。 そんな交通事故に関係したトラブル。 それにお金を借りたとか、お金を貸したのに返してもらえない。そんな借金などの金銭トラブル。 こういった身近だけれども、その当事者にとっては人生を左右するような、そんなトラブル、これが日々の私の仕事の対象となっているわけでございます。 そして家庭ではですね、 妻が1人おりますというか妻普通1人ですが 複数いたら問題ですが、妻と子供が2人おります。 妻もね全盲の障害を持っておりますので、我が家は目の見えないお父ちゃんと母ちゃんが目の見える子供たち2人を育てている。そんな家庭なんですね。 子供は6歳の女の子「心」という女の子と5歳の男の子。響という男の子この2人がおります。 お父ちゃんも母ちゃんも目が見えないとね時々面白いことが起こったりいたしますね。 ちょっと前になりますけどね。私が仕事から帰って、妻が料理を作って待っていてくれたんです。 何か豚肉の料理だったんですよね。 ちょっと食べてみますとね、味が不思議なんですよ。甘いようなね、辛いようなしょっぱいようなそんな時だったんですね。 なんかちょっと新しい味だねって聞いてみたらですね。 これ、視覚障害者ならではだなと思うんですけどね。 妻は豚キムチ炒めを作りたかったらしいんですけども。 瓶の形がね、ブルーベリージャムとキムチの品が非常に酷似していたらしいんですね。 なのでまずはこうぱっと手に取った子ブルーベリージャムの瓶を開けてですね、ドボドボとこぶた肉の上にかけましてね。 なんか臭いか何かでわかったんですよね箱違ったと思ってろ やばいって言って、その後からキムチを投入しました。 その結果何かね、 豚肉のブルーベリージャムキムチ炒め のようなものができましてですね。 甘いようなしょっぱいような。 不思議な味がいたしました。 でもね不味いなんて言ったらこれからご飯作ってもらえなくなってしまいました。 いやいやお肉をコーラで煮るとうまいなっていうからね。これもなかなか美味しいと言いながら食べましたけども、実はそんなに美味しくなかったからというところでございますね。 こんなですね、全盲夫婦の日々、実は先月、1冊の本にまとめてみました。 11月25日に中央公論新社というところから出版されました。「決断 全盲の2人が家族を作るとき」こういうですね、 ここに持ってまいりました。 決断全盲の2人が家族を作るときという本を先月出しました。 この中には、こんなですね全盲の2人の生活のを面白エピソードだとか、私達のこれまでの歩みなどがね書いてございます。 この本はですね、ごく一部で、少しずつ話題になりつつあるという感じでございまして、あんまり売れてないんですね。 ですのでもしご興味持ってくださった方手にとっていただけると嬉しいなと思います。 サピエ図書館のほうではですね、もうすでにテキストデイジーが完成しておりますので、視覚障害でサピエ使ってるかたは、このテキストデイジー版もね。ぜひご利用いただけるといいなというふうに思ったりいたします。 この本決断というタイトルをつけたんですが、私もこれまでね行っていく中でいろんな決断をしてきたなと改めて振り返るんですよね。 例えばですね私しばらく司法試験に受からない、浪人時代を過ごしたんです。 私が弁護士を目指したのは中学校2年生だったんですけども、最終的に司法試験に合格したのは もう29歳だったんですね。ですから、私の20代というのはほぼ丸々長い長い受験生生活だったわけでございます。 4回目の司法試験で落ちてしまった不合格になったときにはね、さすがにもうだめだと思いました。 このときは頭が真っ白になってしまったようなそんな気がしたんですね。 こんな受験勉強頑張ったのに合格できないなんて、これから先いったいどうなってしまうんだろうか。 いつか受かることができるんだろうか。 そんなふうに何かこう道に迷ってしまったような気がいたしました。 このときはですね。 ちょっと改まって両親に相談したんです。 両親の前に正座いたしまして、今年もね受験勉強頑張ったんだけれども、 合格することができなかったんだ。 そして、もうどうしたらいいかわからなくなってしまったんだ。 そんなことを相談しました。 このとき母は、例えばもっと頑張れとかね。 このときに私の母がかけてくれた言葉があって、それが今でも私のね、こころの指針になっています。 もう諦めて別の道を選べばいいじゃないかとか、そんなことではなくね。ただ一言こういました。 迷ったときには自分の心が温かいと感じるほうを選びなさい。 迷ったときには 自分の心が温かいと感じる方を選びなさいとそう言ってくれました。 私も自分の心に問いかけてみました。 辛い受験勉強をもう1回頑張れるだろうか。 そこまでして弁護士になりたい思いがあるだろうかと考えたときに 弁護士になって困っている誰かのために働いているそんな自分の姿を想像すると、やっぱりまだワクワクするようなね、そんな思いになって心が暖かく感じました。 だからもう1回頑張ってみようと思ってね。 机に向き直って勉強を再開することができた。そんな思い出の言葉なんですね。 これも一つの決断だったなというふうに思います。 この言葉をかけてくれた母も8年ほど前に亡くなってしまいましてね。 母が生きている間に、言葉の意味について直接 話をするという機会はなかったんですけれども。 今振り返ってみますと、 迷っている私に対して母としてはね。 何かに迷ったときには損か得かとか、人からどう思われるかとか、そんなことではなくて、自分の心が何を求めているのか、何を欲しているんだろうか。 それだけに素直に生きればいいんだよというふうに伝えてくれたのではないかなとそんなふうに思っています。 そんなちょっとしたいい話もこの本には載っています それで、 また宣伝かよって感じですけどね。 ぜひ手にとっていただけると嬉しいなと思うわけでございますけども、 ところで今日はですね、 対話こそ共生社会を開く鍵というタイトルで昨年4月に施行されました障害者差別解消法について お話をしていくみたいなというふうに思っております。 まずですね、レジメの冒頭には、日本で障害者の置かれた状況というのを書いてみました。 皆さん日本には障害者っていったい何人くらいいるのかって考えたことありましたか。 普通はないですよね。 政府の発表をしております障害者白書という資料があるのですけれども、 この障害者白書という資料によりますと、日本には身体障害者、目が見えないとか、耳が聞こえない足が不自由であるとか そういった身体障害者は393万7000人いるとなっています。 そして知的障害者は74万1000人いるという。 さらに、精神障害者は392万4000人いるのだというふうに書かれておりました。 単純にこれらを合計いたしますと、860万2000人ということになりますね。 これはだいたい日本の総人口の6%から7%。 16人から17人に1人は障害者っていうわけなんですね。 比較のために日本で多い名字って言うのを調べてみました。 日本にはいろんな統計がありましてね、ちゃんとこういう統計があるんですよね、明治安田生命が発表していました。 日本で一番多い名字って何かご存知の方いらっしゃいますか。 どうですかね。 鈴木という声が出た鈴木は実は2番目でした。 一番多いいのはね佐藤なんですって。 佐藤さんは日本中に約200万人いるそうですね。二番目の鈴木さんもほぼ同じぐらい、約200万人ぐらいいます。 3番目は少し意外だったですけども高橋さんです。 高橋さんは150万人、そして4番目は順当に田中さんが入りました。 田中さんもほぼ150万人ということなんですね。 日本には佐藤さん鈴木さんが200万人ずつ高橋さんと田中さんは150万人ずつということですからね。これらを合計すると700万人ということになります。 先ほど日本の障害者は860万というお話をいたしました。 ていうことは、日本の障害者って日本中の佐藤鈴木高橋田中を全部合わせたよりもかなり多いわけなんですね。 これ結構ね、なんか意外な感じがいたします。 人が何人か集まると、その中に佐藤さんとか鈴木さんっていうのはね1人は混じっててもおかしくないというかね混じっていることが多いわけですけども、 人が何人か集まるとその中に障害者が混じってるっていうことはねそんなに多くないわけですよね。 また街中を見回してみても、例えば駅やお店学校や病院などを見回してみても そんなにたくさん障害者がいるだろうか。いや、いないな、そんな気がいたします。 これはなぜなんでしょうね。 やっぱりね、日本の社会の中には、障害者が社会の中で自分らしく活躍することを阻んでいる。 様々なバリアが残っているからなのではないだろうか、そんなふうに思います。 それは例えば建物や交通機関の物理的なバリアということもあるでしょうし あとは健常者の心の中にある心のバリアっていうこともあるでしょう。 そういった様々なバリアのために障害者が社会の中で活躍できていない。 何かね。 数は多いはずなのに、あまり社会の中に障害者がいないという違和感それはこのあたりから来ているのではないかなという気がいたします。 ところでちょっと話が脱線いたしますけれども、 私はいろんな趣味がありまして、例えばギターが好きだとかマラソンが好きだとかね。 あと中でも一番好きなのは海外旅行なんですね。 これまでにはアメリカ、ヨーロッパ、アジア、アフリカなど。 11ヶ国を旅行をいたしました。 海外旅行いたしますと、その町の面白い文化に触れたり美味しい料理が食べられたり そんなね、貴重な経験ができます−とともに日本のことがよくわかってくるな、見えてくるな。 そんな気も致します。 海外を旅行していて、まず日本のことについて思うのはですね、 日本の街、特に都市部、都市部はですね、世界的に見ても、建物や交通機関のバリアフリーがトップレベルに進んでいるんだなこれに気づかされますね。 海外の古い町並みなんか歩いておりますと、歩道はでこぼこだったり、いたるところに段差があったり、 そして日本ではよく見かける音響式の信号機や点字ブロック、そういった設備なんていうのはほとんど見かけませんね。 数年前にニューヨーク旅行したことがありましてね。ニューヨークの現地の視覚障害者と話をいたしました。 日本では音のなる信号機っていうのがあるんだけども、ニューヨークではあんまり意味ないよねとそんな話をしたんですね。 すると彼はですね調べてくれまして、ややニューヨークにもやっぱり音の鳴る信号機ってあるよと 数年前ですから今変わってるかもしれませんけれども、ニューヨークの市の中には25ヶ所あるよと教えてくれました。 東京で何カ所あるんでしょうね。おそらく1000、2000、もっとあるかもしれませんけどもね。一方でニューヨークってのは25ヶ所だったんですねえ。 ちょっと驚く数字だなというふうに思います。 こんな街で生活していると視覚障害者は住みにくいんじゃないかなと思うけれども、一方で、 特に欧米を旅行しておりますとね。 その町の市民の皆さんの心のバリアの低さ。 これに驚かされちゃうってことありますよね。 数年前なんですけども、カリフォルニアに横いたしました。 バークレーという町で、ちょっと調査をいたしまして帰り、サンフランシスコの空港まで帰ることになったんですね。 カリフォルニアはアメリカの中でもね比較的障害者に対するサービス、あるいはバリアフリーというのは進んでいる。そんな州なのだと言われておりますので、健常者の友達とですね、競争したんです。 バークレーの町からね。サンフランシスコの空港まで健常者の彼と私がどっちが早く着けるかっていうのですね、分かれてちょっと競争してみたんですよ。 そうしたら結果的に私の方が早かったんですよね。 もちろん 地図とかも読めないし、時刻表も読めないわけなんですけれども。 街の人がですね、本当ひっきりなしに声をかけてくれますね。 電車に乗りますとね、中年の女性がね皆さん道あげなさいよ、目が見えない方だからね内訳、席譲ってなんて言ってですね席まで連れてってくれたりすることもありましたし。 電車に座って乗っておりますとね、隣に座ってたちょっと大柄の方男性ちょっとコワモテだったのかなと思うんですけどHeyyouなんていうわけですよ。 ちょっと怖いなと思ったらですね。 なんか、靴紐がほどけそうだぜみたいな、ですね。 本当にねそれはどうあんまりバリアフリーが関係ないんだけどもそんなふうにですね。 目が見えない私が1人でいるということを周りのみんながすごく気遣ってくれるんですよね。 空港まで行きたいんだっていうとしかるべきところまで手引きをしてくれたりね乗り換えを教えてくれたりとかすごく親切にしてくれた。 その結果、目の見える 健常者よりもね私の方が早く空港に着くことができちゃったっていうのがね、何かこれがアメリカの心のバリアの低さなんだなっていうことをねちょっと感じた経験でございます。 一方で、日本の街は世界的に見ても建物や交通機関のバリアフリーが進んでいるんだというお話をいたしましたけれども、日本人の心のバリアってのはどうなんだろうな。時々ちょっと疑問に感じてしまうこともあったりいたします。 あれはたしか私が大学生の頃なんですね。 私 大学受験いたしましてですね、補欠で慶応大学に入ったんですね。補欠だったけど慶応に入ってちょっと鼻高々だったわけですよ。慶応ボーイだよなんて言ってですね、ちょっと鼻高々で事業に臨んだわけですね。4月。 まだ事業が始まって間もない時期でした。 一般教養の哲学という科目を受けたんですけどもね。 授業が始まってしばらくいたしますと、教授がこんなこと言ったんですね。 大胡田君ちょっと荷物を持って前に出てきてくださいっていうんですよ。 んで、ちょっとドキドキしながら荷物を持って前に行きますとね。 君が点字でノートを取っている。そのときの音がうるさいって苦情が出てるんだ。 だからきには、他の学生がすわっていない教室の端っこに移動してくれないか。 そんなふうに言われちゃってですね。 大学入ったばっかりでねご希望に胸を膨らませていった。そんな時期だったので、この言葉を聞いたらなんだか涙が出てきてしまったんですね。 せっかくね、大学に入って みんなと同じ教室で勉強できると思ったのに。 ここでも自分が違うのかなんてね、そんなふうに思ってたから涙まで出てしまいました。 本当にね、こんなことがあるのかなと思うけど、でも次の瞬間にね、驚くことがあったんです。 教室のいたるところから私を弁護してくれる私を応援してくれるたくさんの学生が声を上げてくれました。 君も同じ学生なんだから好きなところで授業を受ける権利があるんだとかね。 うるさいと思う人がいるならば、その人が動けばいいじゃないか。 そんなふうにたくさんの学生が 声を上げてくれて、私を弁護してくれました。 それから授業そっちのけれたい討論会になりまして。 最終的にはね大胡田君は好きなところで授業を受けて良いでしょう。 うるさいと思う人がいるならば、その人が動くことにしましょう。そんな結論になりました。 確かにこれはね差別されてしまった、あるいは理解してもらえなかったという一面において辛い経験ではあったんだけれども、 これによって何かね。 自分が差別されたり、理解されなかったりしたときに、 自分を守ってくれる、自分を弁護してくれる存在がいると、どんなに大きな力を与えてくれるのかっていうことを身をもって経験した。そんな経験でもあったんですねえ。 今思うとですね。 やっぱり障害者が社会に進出していく上で大切なことは 摩擦と対話なんだろうな、そんな気がいたします。 これからお話をする障害者差別解消法という法律ができて、差別はいけませんよとかねルールが決まったけれども、それが決まっただけで社会は変わらないんですねきっとね。 おそらく、まずは障害者がどんどん社会に出ていって摩擦を起こす。 摩擦だけで終わってしまったら面白くない。そこでちゃんと対話をしてね。 その哲学の教室の中でも怒ったように、みんなでどうすればいいのかっていうことを考えてみると、その対話を通じて障害者と健常者が一緒に生活をしていくっていうことを知っていく。 それがきっと必要なんだろうなという気がいたします。 こんなですね。日本社会の中にはまだ心のバリアってのはここ残っているけれども、障害者差別解消法ができたということが、対話やあるいは摩擦のきっかけになっていけばいいなと私はそんなふうに思っています。 レジメのですね。次に2番に移りましょうかね。 2番 障害というものに対する捉え方の転換という話を少ししてみようかなと思います。 障害っていうのはですね従来は目が見えないとか、足が動かないとか、気分にむらがあるとかね、そんな心や体の機能の欠陥、これが障害なのだというふうに考えられてきました。 これを俗に障害の医学モデルなんていいますね。 医学的に視力が低い、それが障害だっていうわけです。 この障害の医学モデルの考え方からいたしますと、 障害はその人個人の問題なので、その人の訓練とかリハビリを通じて、乗り越えていかなければいけないものだ。 そんなふうな理解がされてきました。 ですが、1990年代から、 21世紀の終わりにかけてですね21世紀にかけて障害というものに対する考え方がガラリと変わりました。 障害っていうのはその人の心や体の機能の欠陥なのではないよ。 実は社会の中には、多様な存在が生活しているんだ。 中には障害のある人もいるはずだ。 だけどそんな多様な存在を想定しないで作られてしまった社会 この社会は不備な社会である。 こういった社会の不備、これが障害なのだ。 そんなふうに考えられるようになりました。 これはですね、イギリスの社会学者マイケルオリバーという方がいまして、この方自身車いすを使って生活をしている社会学者なんですが、彼が提唱している考え方それが世界的に受け入れられたわけなんですが このように、障害というのは社会の不備なんだっていう考え方を生涯の社会モデルといいます。 そしてこの障害の社会モデルからいたしますと、障害というのはそもそも社会の不備なんですから。 社会の側が変わることによってなくしていく、乗り越えていかなければいけない、そんなものなのだというふうに考えられるようになりました。 この考え方が如実に色濃く表れているのが後でお話をいたします。合理的な配慮っていう考え方です。 合理的な配慮というのは社会の側が障害者に対して適切な手助けとか設備の改良しなければいけない、そういったものですけども、 なんでわざわざね。 社会の側がそんな面倒なことをしなければいけないのかといいますと、この障害の社会モデルがあるからなんですね。 社会はそもそも不備を抱えている。 この不備をなくしていくのは、社会の側の義務だよね。 だから合理的な配慮しなければいけないよね。 そんな考え方で出てきたのが合理的な配慮っていう考え方なんですね。 これが障害の捉え方の転換というお話でございました。 次に少し国際的な動向に目を向けてみたいなというふうに思います。 国籍国際的な動向の中で、やはり忘れてはいけないのは、障害者権利条約ですね。 2006年第61回国連総会において全会一致で採択をされた、そんな国際条約です。 日本も2014年に批准をいたしました。 国際的には141番目の批准だったということですけれども、 今国連の加盟国って196だったですかね。 その内の141番目ですからね。かなり後ろの方になって批准をしたわけでございます。 この条約第1条を見てみますと、目的というのが書かれています。 目的はこういったものなんですね。 この条約は、全ての障害者のあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な共有を促進し、保護し確保すること 並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進することが目的なのだとなっています。 言葉ちょっと硬いですけれども。 目的は障害者にも人権があって、 自由で かけがえのない存在として尊重される。 そんな世界を作ることなのだというわけなんですね。 法律家からしてみますとね、なんて当たり前のことを今更っていう気も致します。 人権というのは何かというと、 人間が人間であるというただそれだけの理由で全ての人に等しく認められた権利、それが人権なんですね。 障害者だって人間なんですから、人権があるのは当たり前。 人権があるのだから自由で、かけがえのない存在として尊重されるのは当たり前なはずなんです。 だけど、21世紀の今、国際条約の第1条で、あえてこのように歌わなければいけなかったというのは、裏を返しますと、 まだ 世界の中では、障害者が人権を持った自由で、かけがえのない存在として尊重されていないということなのかもしれませんね。 確かにこれまで障害者っていうのは 福祉を受ける客体だとかね。 あるいは、厄介者だとかね、哀れみの対象だとか。 そんなふうにとらとらえられてきた歴史が長かったわけです。 だけど、 国連ではねいやそうじゃないんだよと障害者も。 ちゃんとした人権を持ったかけがえのない人間なんだよ。これを世界の共通ルールにしようということで作り上げられたのがこの障害者権利条約です。 この障害者権利条約を読んでおりますとね、何度も何度も繰り返される特定のフレーズがございます。 それは他のものとの平等を基礎にして、 他のものとの平等を基礎にして、こんなフレーズがですね。 たしか34回ぐらいかな。 繰り返されます。 これを読んでおりますと、 私は世界の障害者の 何か嘆きというかな、涙というか、 そんなものを感じるんですね。 自分も同じ人間なのにみんなと同じ扱いをしてもらえないんだから自分も他のみんなと同じ扱いをしてください。 そんな涙がね、集まってできたのがこの障害者権利条約なんだなっていうことをね、何度も何度も何度も繰り返されるこの他の者との平等を基礎にしてっていうフレーズから私は何か感じるような気がいたします。 このように他の者との平等を基礎にしてっというところからもわかるようにですね、障害者権利条約の一番の中心的な内容は、障害者に対するあらゆる差別を禁止する。 ここなんですね。 あらゆる差別を禁止するということです。 そして日本はこの障害者権利条約を批准するために国内の法律を幾つも新しくしてきました。 障害者権利条約が求める障害者に対するあらゆる差別を禁止する。 これを達成するために作られたのが、障害者差別解消法という法律です。 昨年2016年の4月1日からね施行された新しい法律でございます。 では次にこの障害者差別解消法の中身についてお話をしてみたいと思います。 まず、この障害者差別解消法も第1条には目的が掲げられています。 目的はこういったものなんですね。 障害を理由とする差別の解消を推進することによって、 全ての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合う共生社会の実現に資する。 これが目的とされています。 ちょっと言葉は固いけどもね。全ての国民が障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重しあう。 そんな社会が本当に実現したらすばらしいなと思わせてくれる、なかなかの名文だなという気がいたします。 この第一条呼んでおりますと、 私は金子みすずさんの有名な詩を思い出します。 小鳥と鈴と私みんな違ってみんないいという有名な詩がありますが、この障害者差別解消法もまさにこのみんな違ってみんないいという社会。 むしろ一歩進んでみんな違うからこそいい そんな社会を目的としているのではないだろうか。 そんなふうに思います。 ではそんなみんな違ってみんないいという社会、これはどうやって実現していくのかといいますと、差別解消法の中ではですね、2本柱。 二つの柱が示されております。 1本目の柱は、障害を理由とする不当な差別的取り扱いの禁止 不当な差別的取り扱いを禁止するこれが1本目の柱。 そしてもう1本の柱は、障害者に対して、 合理的な配慮を提供することを義務づける。 この合理的な配慮の提供の義務付け これが2本目の柱でございます それぞれの柱についてねちょっと話をしてみたいと思います。 まずは1本目の柱であります。 不当な差別的取り扱いの禁止ですね。 この対象となっているのは、行政機関と民間事業者です。 民間事業者というのは民間企業には限りません。 例えばNPOのような非営利の団体とか あるいは町内会とかね、マンションの管理組合とか、およそあらゆる民間の団体、これが含まれるのが民間事業者、 ということ言葉なんですね。 行政機関や民間事業者は障害者 障害を理由に不当に差別して取り扱ってはいけませんというルールができているわけでございます。 ですが、 不当な差別的取扱いなかなか言葉が抽象的でわかりにくいですよね。 そこで政府は、ガイドラインを作って、この辺り具体的に示しています。 内閣府が示している示している基本方針というガイドラインには 不当な差別的取り扱いというのは、 障害を理由に正当な理由なく 財、サービス、各種機会の提供を拒否すること。 時間帯や場所などを制限すること。 障害者でない者には付さない条件を障害者にのみ付することなどによって、障害者の権利利益を侵害する。 これが不当な差別的取り扱いなのだとされています。 障害を理由に正当な理由なく 財サービス各種提供を拒否する、財っていうのは財産です。 財産やサービス、各種機会の提供を拒否するというわけですから、例えばお店の入店を拒否するとか。 ホテルの宿泊を拒否するとか。 そのような サービスの提供を拒否、あるいは商品を売らない、そんなこともだめですよ。 これが一つ目。 あとは時間帯や場所などを制限する。 これは例えば、障害者はね、他のお客さんがいない。 暇な時間に来てくださいそんなふうにね、時間帯を制限する、こういったこともだめなんですよということ。 あとは 障害者でない者には付さない条件を障害者にのみ付するこれは例えばですね。 障害者は必ず介助の人と一緒に来てください。そうしなきゃねと困りますよ。 そんなふうに特別な条件を付する。 このようなことも原則的にはだめなんだっていうことですね。 もっとも、あらゆる場合に、障害者を健常者と区別することができないのかというとそういうわけでもないんですね。 正当な理由がある場合には、障害者と健常者を区別することも、認められると。 なっています。 もっとも、この正当な理由というのがねどんどん拡大解釈されてしまいますと、この場合も、区別この場合も区別なんていうふうに言ってね。結局、不当な差別的取り扱いというのは絵に描いた餅になってしまいます。 そこで、ガイドラインの中では正当な理由がある場合というのは極めて限定されています。 正当な理由がある場合というのは客観的に見て目的が正当で目的を達成する手段としてやむを得ない場合、これが正当な理由のある場合なのだとされています。 客観的に見てですから、誰が見てもということですね。 誰が見ても正しい目的で、目的達成の手段としてやむを得ない。そういった場合には障害者と健常者を区別することも、仕方ないですねっていうことなんですね。 例えばですね。 重い心臓病持った方がいて、 その方が遊園地に行ってね。 絶叫マシーンに乗りたいと言ったとしますね。 重い心臓病がありますのでね。絶叫マシーンに乗って心臓に何か衝撃が加わってしまいますと、不具合を起こしてしまうかもしれない。 そういった場合には、遊園地の方としては、このジェットコースター絶叫マシンへの乗車を断ったとしても、それはやむを得ないのではないでしょうか。こんな例がね、説明としてはよくあげられたりいたします。 さて、次に一つ事例を書いてみました。 これは実際私が体験したことのある事例なんですけれども。 皆さんもちょっとね、どうすればいいのかなということを考えながら聞いていただきたいと思います。 事例がこういったものです。 私は全盲の視覚障害者です。 ある時、アパートを借りたいと思って不動産屋さんに行きました。 すると不動産屋さんは 火が出たら危ないからとか、段差があって危ないからそんな理由でお部屋を紹介してくれませんでした。 これは許されるのでしょうか。こんな事例ですね。 視覚障害者が不動産屋さんに行ったら火が出たら危ないからとか段差があって危ないからなんて言ってお部屋を紹介してくれなかったっていう事例です。 これよくある事例ですよね。おそらくね。 これをですね、障害者差別解消法ではどういうふうに整理して理解するのかなと私なりに考えてみました。 問題となるのは不動産屋さんが言ってる火が出たら危ないからとか、段差があって危ないからというのはサービスの提供を部屋を紹介するというサービスの提供を拒否する正当な理由になるのかどうなのかっていうことですね。 私の考えとしては、これは正当な理由とは言えないと思います。 なぜならまず火が出たら危ないということ。 視覚障害者は火事を出しやすいって言う客観的なデータはどうやら存在しないようです。 私も しつこい方なので。 東京消防庁に電話して聞いてみたことがあるんですね。 障害者は火事を出しやすいっていうその登記あるんですかって聞いたらいやそんなものはありませんと言われました。 ですから 火が出たら危ない火を出しやすいってことでしょうかね。これは不動産屋さんの無理解、障害者をあまり知らないからね。出てきてしまったそんな発言だと思います。 また、段差があって危ないというのもこれも不動産屋さんが視覚障害者のことをあまり知らないから出てきた発言ですよね。 大抵段差の場所なんてすぐに覚えてしまいまして、かえって段差があることによってね、目印になって便利なんてこともあったりいたしますね。 だから段差があって危ないなんていうのをお部屋を紹介しない理由にはできないわけです。 だけどね、まだまだ。 日本の社会の中ではおそらく意図的に障害者を困らせてやろうとか、排除してやろうというよりはむしろ障害者のことを知らないがゆえに、こんな差別が残っているのではないか、そう思います。 そして、この障害者差別解消法が意味を持ってくるのはここからなんですね。 やはりここから不動産屋さんと障害者の間の対話、対話を するそのきっかけになるのではないかという気がいたします。 できれば不動産屋さんの方にはね、障害者に対して質問をしてみて欲しいですよね。 火はどうするんですかと段差があって危なくないですかとかね。 そんなふうに質問をしてみて欲しい。 障害者の側もちゃんとそれに対して、不動産屋さんは安心させるような こたえをしたいところですね。 使えるんだよとかね。 うちはね、ガスは使わないでIHにするよとかね。あるいは、ちゃんと生活訓練なんかも受けて火はちゃんと そんなふうな不動産屋さんは精神安心させるようなことを言ってほしいし、 段差はすぐに場所を覚えてしまって、かえって便利なくらいなんだよぉなんてね、そんなふうに 不動産屋さんに伝えてほしい、このようにですね、法律ができてすぐに変わるわけではないけれども、対話のきっかけにはなると思うんですね。 個々の小さな対応を通じて、 健常者と障害者が分かり合っていく。 それがおそらく最終的な共生社会に繋がっていく道、むしろこれしかないのかなというふうに私は思っています。 対話のきっかけとは、この法律はですね、きっかけにはなると思います。 法律から全て解決するわけじゃないけれども、これをきっかけとして対話ができるのではないだろうかと思ってるんですね。 さてここまでが 障害者差別解消法の1本目の柱である不当な差別的取り扱いの禁止でございました。 2本目2本目は合理的な配慮の提供義務です。 この合意的な配慮の提供義務も対象となっているのは、行政機関と民間事業者です。 行政機関や民間事業者は障害者が求めた場合には、必要かつ合理的な配慮であって、過重な負担とならないもの、こういった配慮を提供しなければいけませんということが義務づけられました。 もっとも、行政機関は法律的な義務ですが、民間の事業者は努力義務というね、ちょっと一段弱い義務にはなっています。 だからといって努力しなくていいというわけではなくてね、民間事業者もきちっとそういう努力を尽くす義務にはなっているわけなんですね。 そして、 合理的配慮についてはですね、ガイドラインの中で具体的な事例がいくつか示されています。 例えば、車いす利用者のために、店の入り口の段差に携帯式のスロープを渡したり 高いところに陳列された商品を手で取って渡す。 そのような物理的環境へ配慮する。 こういった物理的環境への配慮、これが一つの合理的な配慮だというわけです。 また、 筆談、読み上げ、手話などによるコミュニケーション わかりやすい言葉を使って説明をする、そのような意思疎通の配慮。 こういった意思疎通の配慮、これも大切な合理的な配慮だというわけですね。 また、 障害の特性に応じて、休憩時間を柔軟に変更する。そのようなルールや慣行を柔軟に変更すること。 これも大切な合理的な配慮なのだ。 そのような具体例が示されています。 物理的な環境に配慮したり、意思疎通に配慮したり、ルールや慣行を柔軟に変更したりすることが求められるというわけですね。 先ほど合意的な配慮はですね、障害者が求めた場合には、 事業者が行わなければいけないというふうに申し上げました。 ということは、これ裏を返しますとね。 合理的な配慮をきちっと使いこなすためには、障害者の側がきちっと自分の障害のこと。 自分のどんな 障害のために配慮が必要なのかということ。 また、どんな配慮があれば何ができるんだ。 そんなことを、健常者にもわかりやすい言葉で伝えていく。 そんなことがなければ合理的な配慮をうまく使うことができないということになりますよね。 ところで合理的な配慮とバリアフリーって何か似たような考え方ですよね。 いずれも障害者や高齢者、こういったね。ええ。 不便を抱えている方が 健常者と同じように平等に社会に参加する、それを目的としたものでございますけれども、一応頭の中では整理しておいた方がいいと思います。 バリアフリーというのは不特定多数の人を対象とした取り組み例えばですね、1日3000人以上の利用客がある駅は必ずバリアフリーにしなければいけないとか、 床面積が2000平方メートル以上ある不特定多数の人が利用する建物がバリアフリーにしなければいけない。 そういったルールがバリアフリー法のガイドラインで示されています。 たとえその建物や駅を視覚書障害者が使っていようがいまいがね。 必ずバリアフリーにしなければいけないというわけです。 一方で、合理的な配慮は障害者が求めた場合に提供されるということになっていますね。 ですから整理をいたしますと、 バリアフリーの基準を作って社会の底上げを図っていく。 そういった社会の底上げを図ってもなお残ってしまった場合については、障害者からの個別の申し出に対応する形で、事業者側はこれに配慮していかなければいけない。 そんな整理ができるのではないかと思います。 ですからね。我々も、 ただ泣き寝入りをしているだけでは何も変わらなくてね。 何か手伝ってもらいたいな、あるいは設備を改良して欲しいな。そう思ったらきちっと事業者、あるいは行政機関に申し出をしていかないと、この合理的な配慮っていうのをうまく利用することができないんだ。 というわけなんですね。 そして、障害者が求めた配慮、それが全て。 行われるのか、行う義務義務があるのかというと、決してそういうことでもありません。 これが過重な負担となる場合には、 事業者や行政機関は配慮しなくてもいいですよっていうことになっています。 ですが、 障害者が求めた配慮それが過重だとなった場合にもねただこれ過重な負担だからといって断るだけでは面白くありません。 ぜひ事業者 行政機関の側としては、障害者が求めた配慮ができなかったとしても、何か別の代替手段がないだろうか、そういったことを一緒に考えてもらう。 それをぜひね、実践してほしいなというふうに思うんですね。 ガイドラインの中ではこう言った。 障害者と健常者の間の対話、これを建設的対話というふうに呼んでいます。 建設的対話を通じて必要な合理的な配慮、これを見つけていきましょうと、これが推奨されています。 おそらく今日ね、 わたしの講演の内容ってあらかた皆さん忘れてしまうかと思うんですけども。 一つだけ覚えていただきたい言葉があるとすれば、それはこの建設的対話だと思っています。 これが やっぱりね、障害者と健常者の建設的対話 共生社会に繋がる唯一の道だろうと、そんなふうに思うからなんですね。 よく、合理的な配慮を説明するときにですね、 私は子供の頃にやった砂場遊び、それをちょっと引き合いに出します。 子供のころですね。 私はこの砂場の真ん中に大きな砂山を作って、友達と2人で、砂山の両端から穴を掘っていってね、穴を繋げて1本のトンネルを作る。そんな遊びが好きだったんです。 合理的な配慮っていうのはなんだかこの砂山遊びに行っています。 大きな砂山これはですね社会の中にある様々なバリアです。 物理的なバリアということもあるかもしれないし、心のバリアということもあるかもしれない。 このバリアを抜けていくためには、障害者の側からもちゃんと穴を掘る必要がある。 自分の障害のことだとか、どんな配慮が必要なのだっていうことを伝えていく、そんな努力が必要だ。 そしてそれを受けた健常者の側もそれにちゃんと真摯に耳を傾けて、 どんな配慮ができるのか、求められた配慮はちょっと難しいなと思った場合にも、別の手段がないだろうか、これを一緒に探してみる。 こういった建設的対話、これが必要なんだなというふうに私は思っております。 さて次に一つ事例を書いてみました。 これはねこんな事例なんですね。 私は車いすを使って生活をしています。 そこは ある時、人気の隠れ家風レストランに行きたいと思いました。 2階にあるお店でエレベーターがついていませんでした。 そこで店員さんに2階に上がる手伝いをしてほしいと申し出ました。 それと、 今店員が2人しかいなくて、手が離せないから手伝いませんと断られてしまいました。 こんなことが許されるのでしょうか。 そんな事例です。 車いすを使っている方が人気の隠れ家風レストランに行こうと思っう。 そこはお店が2階にあって、エレベーターがついていませんでした。 店員さんに2階に上がる手伝いをしてほしいと申し出た。出たところ、 今店員が2人しかいなくて手が離せないと言って断られてしまった。 そんな事例です。 皆さんもピンときた方がいるかもしれませんねこれはね数年前に乙武さんがTwitterに投稿してネットが炎上しちゃった。 そんな事例を素材にしていますね。 乙武さんが、女の子と一緒に銀座のイタリアンに子供ったらしいんですね。 果たしてこの女の子はあの5人の 女性に入っているかどうかというのは、 わかりませんが、 そうするとね、こんなふうに言って今手が離せないからといって手伝いを断られてしまったという事例です。 これはですね、合理的な配慮や過重な負担、 これを考える上でとても良い素材だなと思うのでちょっといただきました。 どうなんでしょうね。こういった場合に配慮しなくていいのかどうなのか。 おそらくこれはいろんな立場、いろんな見方によって考え方があると思いますけども。 私はですね、一言で言うならば、建設的対話がもうちょっと欲しかったなそんな気がいたします。 例えば、 今ね、まさに忙しくて手が離せなかったとしても、 例えば15分後に10分後だったらちょっとすくからね。そこで手助けしますよ。 それでどうですか。 そんなふうにお店の方に言ってもらえることはできなかっただろうかなというふうに思うわけですし、あとはお店の側としてはですね、店員が手が離せないんだったらば 前のお客さんに声をかけてみてね。 お客さんの中でどなたか手伝ってくれる方いますか。 そんなふうに 助けを求めてみるということも出来た。それも一つの建設的対話の方法だったのではないか。 という気がいたします。 また、障害者の側にもねちょっと努力があってもよかったかもしれません。 例えば予約をする際に車椅子なんだけれどもね。ちょっと2階に上がるのを手伝ってもらいたいんだっていうことを言っておくとスムーズだったかもしれないし。 また、近くを通りかかった通行人に声をかけて2階に行きたいんだけど手伝ってもらえませんか。 そんなふうに言ってみることもできたかもしれない。 こんなふうに合理的な配慮っていうのはですね、こういった場合には必ずこうしなければいけないというのが必ず決まっているものではなくて、 その場その場でいろんな体はいろんな工夫を通じて見つけていくものなんですね。 日本人はなかなかこれが苦手な場合があります。 マニュアルがあればできるんだけどね。 マニュアルはないとなかなかできないっていうことがあります。 だけど法律がこれを求めているんですね。 私はこれはですね、日本社会を変えていく一つのきっかけになるのではないかと考えています。 日本の社会の中って。 別に手助けが必要なのって障害者だけではないんですよね。 高齢者や小さい子供、あるいは小さい子供を連れたお父さんお母さん 様々な配慮、手伝いを必要としてるはずなんです。 だけども、なかなかね。 日本人はシャイだから。 そういった手伝いができない場合も少なくない。 この法律で定められた合理的な配慮っていうのを一つの突破口として、 社会の中にいる様々な配慮を必要とする存在に自然に 声掛けられる。 手がかせるようなそんな社会になっていくきっかけにできるのではないか。 それに、きっかけにしていかなければいけないのではないだろうか。 私はそんなふうに思ってちょっとね、この障害者差別解消法には期待しております。 そろそろ時間になってきたんですけども。 最後にですね、ちょっとレジュメには書いていない。この時期ならではのお話を紹介して、私の話し終えたいなというふうに思います。 これはインドの古い民話なんですね。 寒い冬の時期です。 雪がしんしんと降り積もってるですね。田舎道を2人の旅人が旅行していました歩いていました。 そうすると道端にけがをして動けなくなってる方を見つけたんです。 旅人の1人はですね。 もっとほっといていきましょうよと言って先に行ってしまいました。 だけどもう1人の旅人はどうしても見捨てられなくてね。 けが人を おんぶして そして雪の山道をおんぶ したらしいんですね。 けが人をおんぶして歩いた旅人は何とかね里までつきました。 だけど待っても待っても先に行ったはずの1人である行ってね先についてはずの旅人が 到着しないらしいんですよね。 後になってみると、1人で行った旅人は道の途中で凍死をしてしまっていたらしいんですね。 だけど、 けが人をおんぶして、 旅人とはね けが人の対応のぬくもりで凍死をまぬがれてたと 来ることができた。辿り着くことができた。 そんなお話がインドにあるらしいんですね。 何かね、障害者とか高齢者とか手がかかる自分は嫌だなって、そんなふうに社会の中で思われてしまうこともあるんだけれども、実はそうじゃなくてね。 何か手助けをしたり、一緒にどうすればいいのかっていうことを考えることによって、その人自身も、 自分の人生が豊かになったり、いろんな新しい発想が出てきたりそんなことってあるのじゃないかなという気がいたします。 私も目が悪いわけですけれども、でもいろんなできることってたくさんあると思います。 だから、時にはいろんな助けを求めながら、そして時にはいろんな 手助け手伝いなんかもしながらね。 できれば けがをしている旅人を見つけたら背中におんぶしてね。それで里を 里を目指す。 そんな人生を歩んでいきたいなと。そして皆さんにもですね、この障害者差別解消法きっかけとして、そんな配慮、そんな社会を考える。 きっかけにしていただければなという願いや変えましてね、私の講演を終えたいと思います。ご清聴本当にありがとうございました。 司会:ありがとうございました。もう一度大きな拍手をお願い致します これにて対話こそ共生社会を開くかぎの講演を終わりたいと思います。 先生ありがとうございました。 はい。 大胡田:縁があったんだ。あのですね今日 桜雲会のブースで、私たちの挑戦という冊子を販売していますこれはですね、東京都盲人福祉協会が民間企業で働いている視覚障害者12名を取材して作った指してございまして、 これが非常に大きな資金源になっております。ぜひ、桜雲会のブースで私達の調整も手に取っていただければと思いますすいません最後戦で打ちました。 以上です。 司会:はい。次の演目はじっ実はですね、医師会の私水木恵と鈴木大介、演劇挙手茶ばっかりばっかりという劇団をやっておりまして、そちらの立場で今回は 朗読バラエティあったとアメディアというイベントになっております。こちらの方にも急遽なんですけれどもさっきお話しましてUDトークで字幕を写してもらうという、実験も兼ねて。 朗読もUDトークで診てもらうことができるかという実験も兼ねましてやってみようと思います。きょうのこの公演。 聴覚障害の方がいらっしゃってましたらぜひ朗読の方も見ていただけたらなというふうに思います。 3時半からになりますが、 準備等ございますので、聞いてくださる方見てくださる方も一般語退出をお願いいたします。 でも3時半になったら必ず帰って来てくださいねお待ちしてます。