東京中小企業家同友会 目黒支部 例会
2007年9月19日
目黒区役所1階レストランにて
私の経歴
1.同友会と出会うまで
- アメディア設立:1989年2月
- 現在地(新宿区西早稲田)に移転:1995年4月
- 同友会入会:2002年12月
2.障害者運動に関わった歴史
- 門戸開放運動
- 統合教育運動
- 読書権運動
3.読書権運動から読書機の開発へ
- 視覚障害者読書権保障協議会での運動(1978~1998)
公共図書館開放、著作権問題
- 通産省工業技術院の音声読書機(1983~1987)
- 音声読書機「エスプリ」の輸入販売(1993~1996)
- 読書ソフト「ヨメール」開発・発売(1996年9月)
- 音声読書機「ヨメールEZ」を他社と共同開発(1999年10月)
- 音声読書機「よむべえ」を自社のみで開発・発売(2003年8月)
これまでの経営を振り返って
1.小規模な家業時代
設立時から1995年3月まで。
1989年2月に、株式会社アメディアとして登記しました。
それは、一人目の社員を雇うことにしたからです。
1989年3月1日付けで、全盲の女性社員を一人雇いました。
社長の私が全盲、ただ一人の社員も全盲という状態で、株式会社アメディアは船出しました。
その後、売上が徐々に伸びていくにつれて少しずつ社員を増やしていき、1995年には社員数7名(うち視覚障害者3名)になっていました。
この時期は、社員全員が家族のような雰囲気で和気藹々と仕事をしており、賃金が少なくてもほとんど不満が出ないような体質でした。
私も社員と友達のように振る舞い、「社長」の自覚があまりない時期だったと言えます。
2.企業へのステップアップの試み
1995年4月に、現在の新宿区西早稲田に事務所を移転しました。
そろそろ、企業として飛躍したいという願望が強くなってきた頃でした。
そんな中、Windows95 が発売され、視覚障害者にはこれまでのパソコンの使い方ができなくなって大きく不便になった一方で、パソコンの土台の性能がぐんと上がったという状況になりました。
そこで、調査してみると、かねてから多くの視覚障害者が望んでいる印刷物を読み上げる読書ソフトの開発が我が社でも可能なのではないかということになりました。
そして、読書ソフトの開発に着手し、1996年9月に「ヨメール」という名称で発売しました。
この「ヨメール」は大変ヒットし、1996年度の売上は前年度の2倍を越えました。
3.豊満経営で衰退
この大幅な売上増で、企業としての発展の道筋が見えてきました(と感じました)。
さらに売上を伸ばすべく、1998年には福岡に九州支社を設立し、開発スタッフも一気に二人増強しました。
しかし、製品の開発は思うように進まず、また、売上も思うように伸びませんでした。
かくして、1998年以後、有能な社員が多数離脱し、赤字幅はどんどん拡大して会社は衰退の一途を辿り始めました。
4.復活へののろし
2001年7月に当時の主力商品「ヨメール」の主任開発者が退社し、開発中の「ヨメール」Version5 がもはや開発できないかもしれないという危機にさらされました。
何とか残った二人の開発者でこれを完成させ、11月に Version5 を発売することができました。
これが開発できなかったなら、「商品至上主義」の当時の私の経営力では間違いなくアメディアは倒産していました。
その後、2003年8月に音声拡大読書機「よむべえ」を、2004年11月にホームページ読み上げソフト「ボイスサーフィン」を発売し、業績も徐々に復活の兆しを見せてきました。
ただ、その回復基調をもたらす基盤を与えてくれたのは、新発売品の商品力ではなく、私を成長させてくれた同友会との出会でした。
同友会との出会い
さて、私と同友会との出会いは2002年の11月でした。
11研の発表者として当時障害者問題委員会で活躍されていた平田さんに声をかけていただいたのです。
平田さんは、「全国重度障害者雇用事業所協会」という大企業も含めた障害者雇用をしている事業所の団体で私のことを知っていて、福祉ビジネスを行なっている者として発表の場を提供してくれました。
11研の翌月、12月に平田さんの所属する豊島支部に所属し、同友会の会員となりました。
その後、例会や懇親会などで経営者仲間と話をする中で、自分よりももっと苦しい体験を乗り越えてきている仲間が大勢いるんだということを知りました。
そんな中、2003年の11月に文京支部で行なっていた経営指針の1泊研修に事務局の黒津さんに誘っていただき、これを受けて、もっと大幅に変わらなければならない自分自身に気付かされました。
その後、2004年5月からスタートした豊島経営塾に参加し、2004年10月には経営基礎講座、2006年12月には経営指針成文化セミナーなど、同友会の主催する経営の勉強会にどんどん出るようになりました。
同友会に入って学んだことは、
- 経営者には利益を上げる責任がある、
- 経営不振の原因を経営環境のせいにしてはならない、
- 市場分析力を高めなければならない、
- 精度の高い数値目標を立てられるようにならなければならない、
- 数値目標を達成するための具体的戦略とそれに基づいた行動を行なわなければならない、
- 社員を幸福にしなければならない、
- 社員の働く意欲は経営理念の浸透の結果である、
- 利益は顧客満足度に裏打ちされた社会貢献度のリターンである、
などです。
こうして、以前は「会社の成功度は商品の質」と考えていた私は、「会社の成功度は経営の質」と考えを改めました。
人を幸せにしないビジネスはない
ここからは、現在の経営に対する考え方をお話させて頂きます。
まだまだ発展途上状態の私ですので、1年後にはまた別のことを言うようになっているかも知れませんが、どうぞその点、ご了承ください。
1.社会貢献スタンスのおごり
同友会に入る前の私は、私の仕事は視覚障害者だけをターゲットにしているため、マーケットが狭く、利益が上がらなくても仕方がないと思っていました。
また、障害者に役に立つビジネスをしており、障害者もたくさん雇用しているのだから、業績に関係なく社会貢献しているんだというおごりがありました。
しかし、同友会の仲間の経営体験を聞く中で、私のビジネスはマーケットが狭い分競争相手が少なく、本来なら確実な利益が上げられるはずであることをまず悟りました。
そして、「社会とは何ぞや」という問題提起を自分の中で消化していくうちに、
- 社会とは人間の集まりである、
- ビジネスの顧客集団も人間の集まりである、
- 人間の集まりに対して貢献できれば利益としてリターンがある、
- 人間の集まりに対する貢献は社会貢献である、
- 社会貢献は利益を生み出す、
というように考えるようになってきました。
ですから、多くの大企業が「社会貢献」というとき、本業とは別に社会的弱者などに特別の配慮をすることを意味しているのですが、それは本来のあるべき姿の社会貢献ではなく、「差別的社会貢献」なのではないだろうか、本来の社会貢献は、本業のターゲット顧客に対する貢献をもって社会貢献と位置付けるべきなのではないだろうかという考えに至りました。
そんなわけで、私のビジネスの社会貢献度は、アメディアの業績に素直に表現されているということに気付いたのです。
アメディアの最近の業績の推移
2002年6月
売上高 190,904,575
営業利益 5,997,416
* 電子政府化考想に基づく公共機関への障害者向け機器導入予算が付き、導入の対象となる機器をたまたま商品としてもっていた当社は、一定程度の社会貢献をするチャンスが与えられた。
2003年6月
売上高 153,187,720
営業損失 -14,319,512
* 公共機関への機器導入の公的予算が終了し、純粋にエンドユーザーの直接選択にさらされた結果、この赤字となった。当社の顧客に満足を与える力すなわち社会貢献力がいかに弱いかが如実に現れた。
2004年6月
売上高 163,879,489
営業損失 △8,445,181
* 当社の社会貢献度がほんの少しだけ高まった。
2005年6月
売上高 214,708,790
営業損失 △6,904,359
* 売上高の伸びはお客様との接点が増えたことを示しているが、利益が改善していないのは、お客様に幸せを与える力、つまり付加価値が与えられていないことを示している。
2006年6月
売上高 227,337,246
営業利益 7,345,383
* 同友会での勉強の成果がようやく会社の力に反映してきた。社会貢献度も少し上昇した。
2007年6月
売上高 209,581,192
営業利益 -1,178,031
* 障害者自立支援法の施行により、視覚障害者が福祉機器を少し購入しにくくなった。その逆風を押し返すだけの顧客満足力が当社にはなかったことが立証された。
2.稼ぐことへの罪悪感からの脱却
私にとってのもう一つの大きな分岐点は、「稼ぐことへの罪悪感」からの脱却でした。
同友会では、「利益を上げなければならない」ということは学びました。
しかし、私と同じように、同友会の仲間には、なんとなく稼ぐことへの罪悪感をもっておられる方が少なくないように思います。
これを打ち破るきっかけを作ってくれたのは、「石田塾」というインターネット塾でした。
この塾は、アフィリエイターの養成塾で、脱サラを目指す人や亭主の給料では満足が行かない家庭の主婦にインターネットで稼ぐ方法を教える塾です。
本来は、私のような経営者が学ぶ塾ではありません。私の会社から抜け出したい不満を持った社員に思い切って退社するだけの経済力を即効で授けようとする塾です。
私は、2005年の5月に、二つの理由でこの塾に入りました。
一つは、インターネットで稼ぐノウハウを学びたかったからです。アフィリエイターにならなくても、私の本業に生かせるものがかならずあるのではないかと思ったからです。
二つ目は、脱サラを目指す人達のマインドを知りたかったからです。
私の社員も同じような気持ちになっているかも知れません。インターネットビジネスの誘惑は、そういう気持ちにさせる十分な力を持っていると感じたからです。
そんなとき、私はどのような対処をすればよいのかを考える材料が欲しかったのです。
さて、その塾の内容はさておき、私がそこで学んだもっとも大切なことは、稼ぐことへの罪悪感があると、大きく稼ぐことはできないということです。
「稼ぐことは悪いこと」という観念は、利益が上がろうとすると、それを自分自身で押さえ込んでしまう方向に動くと言われ、確かにそのとおりなんだろうなと思いました。
そこで、私は、世の中の事例をいろいろと思い浮かべて考えました。
- トヨタ自動車はどうか。
- トヨタ商事はどうか。
- 日立製作所は?
- ・・
長期にわたって稼いでいるビジネスは、顧客に大きな満足を与えているからこそその稼ぎが継続しているのであって、それがシステム化した状態こそ社会貢献のもっとも理想的な形なのではないだろうか。
それでは、罪悪になるような稼ぎ方というものはないのだろうか。確かにある。それは、短期的な稼ぎで終わってしまう稼ぎ方だ。短期的に終わってしまうということは、顧客満足の持続力がない、またはリピート力がないことを示している。
その代表格は「だまして稼ぐこと」だが、そのような本質的な悪ではなくても、短期的な稼ぎは人を幸せにすることはできない。
実は、上の考えの整理は、あるカウンセラーのカウンセリングと、 James Skinner 氏の成功の9ステップセミナーを経てようやく確立しました。
こうして、
- 稼ぐことは善である、なぜならば
- 顧客満足はその人を幸せにしている状態である、
- 幸せにしている状態が継続していれば、その期間は継続的に稼げる、
- よって、継続的に稼いでいるビジネスは継続的に人を幸せにできている、
- 真っ当なビジネスはかならず誰かを幸せにし続けている、
- 顧客集団の幸せの総合が社会貢献である、
- 顧客満足に裏打ちされた社会貢献のリターンとして利益が戻ってくる、
- 利益が多い、稼ぎが大きいということは、社会貢献度が高いということを意味する、
という思想に至ったのです。
同友会思想とジェームス・スキナーの融合
今の私にもっとも大きな影響を与えているのは、中小企業家同友会とジェームススキナーです。
ジェームススキナーは、成功の9ステップとして、
- 決断
- 加速学習
- 健康とエネルギー
- 感情のコントロール
- 目標の明確化
- 時間管理
- 思い切った行動
- アプローチの改善
- リーダーシップ
を上げています。
どれも非常に大切な要素なのですが、この中で、5番目の項目である「目標の明確化」が、経営者としての私にとっては、同友会で教えている経営指針の確立にぴったり一致すると感じています。