主催:北海道中小企業家同友会、札幌市
2009 北海道雇用支援フォーラムにて
2009年10月23日(金)13時
本日は、まず現在の私と私の会社アメディアの状態を紹介させていただき、次に過去を振り返って過去から現在に至るまでの道筋と現在から将来に向かっての私の目標についてお話させて頂きます。
--このような場を頂き、自分の生き方を振り返る機会を頂きましたことに心より感謝申し上げます。
1 自己紹介
1. 望月優個人
年齢:51歳
身長162cm
体重:60kg
生活:家賃9万円の2Kアパートに一人暮らし(独身)
視力:0(全盲)
健康:良好(水泳1km、ランニング20km)
日課:5時起床、7時半出社、9時始業、18時終業、24時就寝
終業後の活動:同友会の会議・勉強会または水泳
立場:株式会社アメディア代表取締役、東京中小企業家同友会理事・障害者委員会・委員長
2. 株式会社アメディア
会社設立:1989年
資本金:4千万円(株主110名)
年商:3億円
経常利益:1500万円
主力製品:音声拡大読書機「よむべえ」
経営理念:情報とテクノロジーで障害者の自立支援!
私たちは、情報とコミュニケーションで人々が繋がり、技術と交流で障害者が自立できる環境作りを促進します。
2 歴史
1. 会社設立までのプロフィール
1958年1月28日:静岡県静岡市に生まれる。
1965年4月:静岡県立静岡盲学校小学部に入学。
1974年4月:東京教育大学教育学部附属盲学校高等部に入学。
1977年4月:麗澤大学ドイツ語学科入学。
1978年:視覚障害者読書権保障協議会に入会。以後、1998年の解散の時まで読書権運動に専心。
1982年:麗澤高等学校非常勤講師(英語)となる。
1986年3月:麗澤高等学校退職。
9月:国立職業リハビリテーションセンター電子計算機科入学。プログラミングの学習を本格的に開始。
1987年12月:視覚障害者向けのパソコン関連システム販売を開始。
1989年2月:株式会社アメディア設立。代表取締役に就任。視覚障害者向けのシステム開発・販売を事業化。
2. 株式会社アメディアの歴史
(1)創業期:第1~3期(1989年2月~1991年6月)
株式会社アメディアの設立は1989年2月14日ですが、具体的な事業は1987年12月に私が「コミュニケーションサービス」という屋号で視覚障害者向けのパソコンの販売とサポートを始めたところから始まります。
パソコンという魔法の機器をうまく使うことによって、元来文字の読み書きができなかった視覚障害者の情報環境が革命的に改善されると信じてこの事業を始めました。
当時は、パソコンと視覚障害者用のソフトウェアをセットで購入して頂き、お客様のお宅に私がお邪魔して設置と初期の講習を行なうというビジネスモデルでした。
法人当期後の規模は従業員数が1~4名、年商が4千万円から5千万円ほどでした。
(2)家業経営期:第4~8期(1991年7月~1996年6月)
決算申告を税理士に任せ、厚生年金に加入するなど、ようやく会社らしい形が徐々に整ってきた時期です。
この頃は、従業員数も5~7名程度に増え、年商規模も1億から1億2千万円程度で推移していました。
この時期は、昼食を社員が同じテーブルを囲んで出前を取って食べるなど、家族的な雰囲気の会社でした。
この時期の最終年の1995年4月に現在の新宿区西早稲田のオフィスに引越ししました。
経営状態は常に資金繰りがぎりぎりの自転車操業でした。
現在の私からみると、会社規模に比べて売上もそこそこあり、赤字になるような業態ではなかったと感じます。
自転車創業状態は、単に経営者としての私の力量不足がもたらしたものでした。
(3)満開期:第9期(1996年7月~1997年6月)
視覚障害者の祈願は印刷物を誰の手も借りずに自分で読むことです。
アメディアでは、英語音声読書機で定評のあるオーストラリアのロボトロン社が開発した日本語音声読書機「エスプリ」を日本の代理店となって販売してきましたが、パソコンソフトとしての開発見通しがついたため、印刷物読み上げソフト「ヨメール」の開発に取り組み、1996年9月に発売しました。
おりしも、同じ目的のソフトウェアが2社からほぼ同時期に発売されましたが、アメディアはマスコミと展示会での戦略に成功し、スタートダッシュで他社を一気に引き離して第9期は前年度比で売上高倍増の2億4700万円を達成しました。
しかし、この勢いは一期だけで終息してしまいました。
(4)急落期:第10~11期(1997年7月~1999年6月)
「ヨメール」の人気は大変なものでしたが、熱狂的なファンの購入一巡とライバル製品の追い上げとがあいまって、売上はすぐに落ち込みはじめました。
売上の落ち込みと豊満経営の結果、第9期でそれまでの累積赤字が後僅かでなくなるというレベルまで縮小していましたが、第10期末で累積赤字2100万円と一気に落ち込みました。
大きく変化しつつあるビジネス状況の中で力不足の経営者がマネジメントすると、どんなにひどいことになるのかということを、我が社の記録から痛感させられます。
当時は自分を「力不足の経営者」などとは思っていませんでしたが、今考えるとそれが一番の問題でした。
第10期で一気に財務状態が悪くなり、11期は社内の人間関係が悪くなりました。
11期後半の1999年2・3月に5名が退社し、12期に入った7月に二人が退社しています。
(5)どん底期:第12~13期(1999年7月~2001年6月)
この時期は、ありとあらゆる災難がアメディアを襲ってきた本当に厳しい時期でした。
ただ、2000年度に森政府の英断で障害者のIT化の促進の名目で自治体が障害者向けの各種IT機器をそろえる予算が大きくついたため、第13期は過去最高益となりました。
この神風がなかったなら、今アメディアは存在しなかったでしょう。
この厳しい時期をともに耐え抜いて現在も活躍している5名の社員に心から感謝しています。
(6)ダイエット機:第14~16期(2001年7月~2004年6月)
この時期は、経営を立て直すためにとにかく経費削減に注力した時期でした。
第12期(1999年度)で8600万円、13期(2000年度)で7700万円あった販管費を、第16期(2003年度)では5400万円台にまで絞り込みました。
しかし、経費削減とともに、売上も急激に落ちた時期でした。
13期で2億3千万円あった売上が、14期で1億9千万円に、15期で1億5千万円に落ち込み、16期で2003年8月に「よむべえ」を発売することによって1億6千万円とようやく少しだけ回復基調に乗せました。
また、経費削減に伴って、残業を削減した時期でもありました。
お陰様で、その後の回復期には、残業を増やすことなく回復基調にできました。
(7)回復期:第17~21期(2004年7月~2009年6月)
私は、2002年12月に東京中小企業家同友会に入会した後、2003年11月に文京支部主催で行なわれた経営指針セミナーにはじめて参加して、自分の経営者としての未熟さを痛切に感じました。
その後、同友会で行なわれる各種のセミナーに参加し、 James Skinner を入り口として入った自己啓発分野での学びが合体して、望月優は現在自己改革中です。
自分が成長すれば会社もよりよくなる流れを体感しつつあります。
自己改革のスタートとして、2004年9月から水泳を始め、3年間で26キロダイエットしました。
その間、17期・損失700万円、18期・利益760万円、19期は障害者自立支援法施行という逆風があったにも関わらず損失僅か80万円、20期は利益1200万円、21期は利益1500万円と推移し、私の体重に反比例するがごとく会社の体質が回復してきました。
3 学び
過去を振り返ってみると、アメディアを設立してから同友会に入会するまで、私は経営者として全く成長していなかったように思います。
成長できなかった要因は、当時は自信過剰で自分自身に満足しきっていたからに違いありません。
会社の利益は上げられませんでしたが、それに対して、社会貢献の事業なので、利益を上げるのは無理だね、という見方で慰めてくれる方が多く、私自身もとんとんでいければ上出来だと思っていました。
会社が赤字だということ以外では、私個人としては、
などなど、経営者としての本文を忘れ、個人としての満足感でいっぱいだったように思います。
ただ一つ、お金のことだけがうまく行かないということで常に気を揉んでいました。
それに加えて、累積赤字が大きく膨らんできた1999年頃からは社内の人間関係もがたがたと崩れてきました。
--切腹して果てようと思ったことがあった。
--「ばかやろう」と自分をしかる。
2002年12月に東京同友会に入会し、その後同友会の中でいろいろな刺激を受け、
A.アメディアは良い会社ではない
B.私は良い経営者ではない
ことが私自身にがつんと突きつけられました。
そこで、その後に私が得た学びをいくつかシェアさせていただければと思います。
1.障害者がキャリアアップしていく働き方の心得
--まず、本日は障害者雇用支援フォーラムなので、2年前にようやく自覚した障害者がキャリアアップしていく心得についてお話します。
(1)できること、やれることをアピールしなければならない
障害者が働く場を得るためには、まずはどんな仕事ができるのかを具体的に自分でアピールしていく必要があります。
これは、就職前のみならず、就職後においても同様で、職場内で自分のやれることを積極的にアピールすることによって、やりがいのある仕事が得られます。
--(事例)
--麗澤高校:英文タイプを打てること、英語でなら資料が自分で作れること、教科書が点字であれば授業が進められること、カセットテープのダビングなら自分でできること(以後、頼まれるようになりました)
(2)頼み上手にならなければならない
やれることをアピールする一方で、やれないこと、自分では効率の悪いことについては、周囲の人達に上手に手助けを頼む必要があります。
「上手に頼む」とは、
- 気持ちよくやってもらえること、
- やってもらっていることの意味を相手に理解・納得してもらうこと、
- やってもらっていても、自分が能力がないと思われないこと、
が必要です。
その秘訣は、
A.コミュニケーション上手になること
頼むとき、強縮せずに明るい声で堂々とお願いすること。
強縮していると、相手が冗談も言えず、硬い雰囲気になります。
B.依頼相手の今の状況や得意・不得意を配慮すること
相手が今どんなことをやっていて、どのぐらい忙しいかに気を配ること。
忙しいときに堂々と頼むと、「依頼心が強い」という反感をもたれます。
C.お返しに相手の手伝いをすること
相手が忙しいとき、何か手伝えることがあれば自分から声をかけて手伝うこと。
です。
--(事例)
--麗澤高校:テストの採点をほかの先生に依頼していました。その代わり、出張などで先生が不在のとき、積極的に授業のピンチヒッターを申し出ていました。
(3)業務として指示ができなければならない。
職場での実績が評価されると、部下が配置され、上司となります。
このときには、新しい課題として、仕事の指示を適切に出す必要が出てきます。
(1)のスタンスに偏りすぎている障害者は、何でも自分でやろうとしてしまい、適切な業務指示ができないことがあります。
同友会で学びはじめる前の私は、ほぼこの状態でした。
上司になったら、自分ができることでも、自分がやるのではなく、部下にさせなければなりません。上司というのは、率いるチームでの生産性で評価されるからです。
一方、(2)のスタンスに偏りすぎている障害者は、何でも人にやってもらおうとします。
また、やってもらうことは自分のサポーとというイメージが焼きついてしまっているため、「業務として指示する」というスタンスに断ち切れないことがあります。
このような人は、自分自身の心の改革が必要です。
このように、上司にステップアップするためには、(1)と(2)のスタンスをバランスよくこなす実践を経て人間として成長する必要があります。
--(事例)
--アメディア立ち上げ時からしばらくは経理の仕訳を自分でやっていましたが、5年目に経理担当を雇って任せました。
--最初は自分でもプログラムを書いていましたが、今はほとんど書きません。
--よくない事例として、今でも英語の翻訳を自分でやってしまうことが多いです。
2.会社が利益を上げるのは、「良い会社」の必須要件
アメディアは、創業以来第17期、2005年6月まで赤字体質の会社でした。常に累積損失が蓄積されている状態で、第17期決算(2005年6月期)の累積損失は創業以来最悪の3600万円に達していました。
その最大の理由は、私が本心では儲けようと思っていなかったからだと思われます。社員の前ではいつも高い売上目標、利益目標を掲げていましたが、内心はとんとんでいいなと思っていたのです。しかし、その「とんとん状態」も実際には思うように実現できませんでした。
同友会に入会してから1年後、2003年秋にはじめて経営指針のセミナーに参加しました。そこで、自社の業績の数値の意味を解き明かしていく中で、以下に我が社はだめな会社なのか、以下に自分はだめな経営者なのかということを痛感させられました。
また、2004年秋に福祉まで行なわれた第12回障害者問題全国交流会のおり、私は分科会で発表させて頂きました。そのとき、参加者から「会社は利益を上げなければならない存在なのに、望月さんは赤字を威張っている」と指摘されました。
それらの経験を経て、「会社は利益を上げることが善なのだ」ということを学びました。
その頃から、私の学習は加速され、ようやく稼ぐことへの追求が本気で開始されました。
--石田塾
--稼ぐことへの罪悪感
3.セルフ・コントロールの成果が会社の体質改善の基盤
私は2004年9月から水泳を始めました。
当時86キロあった体重ですが、現在は60キロです。この体重に達したのはもう2年前で、それ以来リバウンドはありません。
実は、水泳を始めたのは、こんな体質ではいつか倒れてしまうと思ったからですが、こんなに体重が減らせるとは最初は夢にも思っていませんでした。
しかし、水泳を続け、食事の量をある程度セーブしながら生活していると、着実に体重が減っていくことを体験しました。また、どのぐらい食べてどのぐらい運動すると、翌日の朝は体重がどのぐらいになっているのかということが、自分でも手に取るように判るようになりました。つまり、体重のセルフ・コントロールができるようになったのです。
体重のコントロールが自分の意思でできるようになると、会社の業績コントロールもできるようになるに違いないという一つの自信が沸いてきました。
--今年からマラソンを始めたこと
--マラソンでも、自分の目標に向かってある程度計算しながら自分の成長を見守ることができること。
さて、身体のセルフ・コントロールも役に立ちましたが、心のコントロール、感情のコントロールはもっと大きなプラスの影響をもたらしていると確信しています。
4.頑張り型から笑顔型への転換
2007年11月29日の日記に、以下の記述があります。
--- 望月優の日記から ---
人生の質ランキング
Aランク:にこにこしながら努力する
Bランク:にこにこしながら努力しない
Cランク:苦虫をつぶしながら努力する
Dランク:苦虫をつぶしながら努力しない(不平、不満を持った状態、人のせいにする状態)
BとCは微妙だが、心の状態が人生を造っているので、心の状態が良い、つまりにこにこしていることの方が努力して進歩することよりも優先である。
私は、「努力すること」に最大価値をおいていました。
自分の人生を切り開くためには、弛みない努力が必要だと考え、2年前、49歳までその価値観で頑張ってきました。
2007年11月29日の日記は、私の価値観転換の後の日記なわけですが、それ以前の私は、「にこにこしながら」という部分には全く価値を置いておらず、笑顔で努力するのも仏頂面で努力するのも同じという感覚でした。
確かに、その「努力することこそ大切である」という価値観とそれに従った頑張りが、目が見えない状態で起業して、アメディアの基礎を築くところまで私を持ち上げてくれたと感謝しています。
ですが、アメディアは赤字が通常化していて、常に自転車操業で、私は歯を食いしばって頑張りつづけなければ続けていけない状態でした。
過去の私の価値観の形成には、父親の影響が多大でした。
父親は、常に頑張ること、努力することを小さい頃から私に叩き込み、その結果、「歯を食いしばって頑張る」体質が私に身につきました。
私は、自分自身が変わらなければ会社はよくならないと思い、その変化の方向性を求めて、2007年頃から自己啓発本をよく読むようになりました。
それらから得たことは、成功哲学者や自己啓発コンサルタントたちも「努力」を推奨しているのですが、その「努力」は無理をしながら頑張る努力ではなく、楽しみながらこなしていく努力だったのです。
私が感じ取った彼らの教えのエッセンスは、
- 自分の感情をコントロールすること
- 努力を快楽に連想させること
の2点でした。
--ジェームス・スキナー
--人間は痛みを避けて快楽を求める動物
このような学びを経て、2008年の私の新年の抱負は次のようなものになりました。
- 穏やかな心ですべての自体を受け止める。
- にこやかな態度であらゆる人に接する。
5.障害者雇用からの気付き
アメディアでは、当初から視覚障害者を多数雇用していましたが、これは、ビジネスの顧客が視覚障害者ということなので、当然のことと言えます。
1999年以降多くの視覚障害者が退社しましたが、これは、経営の失敗から生じた事態でした。
アメディアを設立10年まで支えてきた主戦力は間違いなく視覚障害者の社員でした。
2002年に東京中小企業家同友会に入会し、経営の本質を学ぶ中でようやく2005年に本来の意味での障害者雇用を実現しました。
現在は、視覚障害の正社員1名とパートタイマー1名、精神障害の正社員1名とパートタイマー1名、正社員の健常者10名で運営しています。
まだ知的障害の方を採用したことがなく、特別支援学校から定期的に実習で受け入れたことがあるだけです。
さて、アメディアにとって視覚障害者はターゲット顧客と同じ属性を持つ社員であり、会社にとって必須だということは言うまでもありません。
障害者雇用は経営体質を強くすると考えますが、その意味での真の障害者雇用は2005年に精神障害の方を雇ったところから始まりました。
2005年に彼を受け入れたときは、社内の役職者の会議で問うたところ、全体として受入に前向きな雰囲気ではありませんでした。
2008年に二人目の精神障害者を募集するときは、私からの主働は全くなく、以前精神障害者の受入に慎重だった社員の提案で行なわれました。
この間、知的特別支援学校の生徒の実習も行っておりましたが、これらにより、社内の多様性の受け入れ体質が強化されたと考えます。
6.7割褒めて、3割目指す、心の持ち方の7対3の法則
おりしも2005年1月から、社員の評価制度をスタートしていました。
半年ごとに「成長評価シート」に従って自己評価をつけてもらい、その後で、同じシートの上司評価欄に直属の上司が、社長評価欄に私が評価を付けて、部長職以上の3名で評価会議を行なって最終評価を決定するという仕組みです。
その中で、精神障害の社員は特に自己評価が低いことに気付きました。
また、その他の社員も自己評価が高い人と低い人がいますが、以前よりも自己評価が低くなった社員には特に気配りする必要があると感じています。
自己評価が低いということは、自分に自信がない状態だということだからです。
私は、会社のエネルギーは社員みんなのエネルギーの総和であり、社員みんなのエネルギーが会社の業績を支えていると確信しています。
であれば、社員個々の心のエネルギーを常に高め、社員一人一人が成長し続ける環境を作りたいと考えています。
精神障害者は、心のエネルギーという面での「障害」を抱えています。だからこそ、そのような社員の心のエネルギーを高めることができれば、どんな社員でもエネルギーを高められるという経営者としての自信が付きます。
私は、今、その点で挑戦中です。
2005年に入社した社員は入社当時から比べればはるかにエネルギーの高い状態で多くの仕事をより質の高いレベルでこなしてくれています。
昨年入社の社員は、現在は週3回の勤務で、ときどき欠勤することがあり、まだまだひよわな状態です。彼がもっともっとエネルギー高い状態に成長してくれる職場環境にしたいと試みています。
同時に、ほかにもまだまだ元気の足りない社員、物事を否定的に捉える社員がいます。これらの社員が皆より前向きになり、元気でエネルギーの高い状態になるよう私なりの試みをしています。
その試みは、各社員の自己肯定度を70パーセント以上に高めようとするものです。
普通に仕事をこなしたら「ありがとう」と声を掛け、ちょっとした成果が上がったときには「やったねえ」と大げさに喜ぶのです。
もちろん、褒めることもしますが、褒めてばかりいるとむしろ疑心暗鬼にさせてしまう経験があるので、褒め殺しにならないように気をつけています。
A.一緒に喜ぶ
B.普通のことに感謝する
C.褒める
の順番です。
この心の持ち方の7対3の法則は、人のモチベーションを上げるときだけでなく、自分自身が成長するためのノウハウとしても使えます。
自分自身を7割型褒め、あるいは自分でお祝いして喜び、満足します。
でも、後3割足りない、この3割の努力を目標に向かって行います。
3割打者に立ち向かう投手の心の状態です。
撃たれる確立は30パーセント、でも7割方は抑えられる。ならば挑もう。
このバランスなら、
- 挑む喜び
と
- 達成したときの成功イメージ
で、快楽の気持ちで行動できます。
よって、目指す割合が3割の目標を設定するのが、良い目標設定だと考え、私自身そのようにしています。
目標がないと人は成長しません。「無理」だと思ったことは本当に「無理」になります。「できる」と思って行動に起こせば、本当に「できる」のです。
可能性を決めているのはあなた自身なのです。
ですが、自分自身を認められないと、具体的な一歩が出ません。行動力の根源は自己肯定です。
行動力の基盤となる自己肯定が7割、進歩に向かって歩みを踏み出す目標が3割。これが心の持ち方の7対3の法則です。
7.同友会活動と会社の業績の関連性
私が東京中小企業家同友会の障害者委員会・委員長に就任した2005年4月、当時、アメディアの累積損失は過去最高の3600万円に達していました。
しかし、それまでの同友会での学びが多少功をそうしていて、赤字額は毎年減少していました。なので、当時、私には「いける感」がある程度ありました。
2006年に東京同友会の経営指針成分化セミナーに参加し、翌2007年から今年まで、3年続けてセミナーでのサポーター役を務めさせて頂いています。
さて、当然、この経営指針セミナーは大変勉強になり、アメディアの業績回復に大きく貢献していることは間違いありません。
それとともに、もう一つ特記すべきことは、例会やセミナーなどの具体的な学習場面のみならず、同友会の活動自体もアメディアの業績に結果として貢献していたということです。
2008年9月に、東京で第14回障害者問題全国交流会(障全交)を開催しました。私は、その前の年、2007年11月にその実行委員長に就任しました。
この1年間は、夜のみならず、昼の時間もかなりその準備に使いました。
しかし、アメディアの業績は、障全交の3ヶ月前の2008年6月決算で、11年ぶりに過去最高の売上と経常利益を更新しました。
--会社では、社員になるべく明るい声をかけて、自分は仕事はせずに同友会の仕事をしているというスタイルが良かったのかも知れません。
お陰さまで、障全交がなかった今年も、さらに昨年度の過去最高の売上と経常利益を更新することができました。
このように、同友会活動を活発にやれば、そのリターンが会社の業績として戻ってくるという体験を私はしています。
8.会社の成功サイクル
私は次のように考えています。
A.顧客満足(お客様への貢献)
B.お客様からのリターン
C.利益の増大
D.社員の待遇改善
E.社員の充実感の増大
F.より良い商品・サービスの創出
上記のサイクルは、
- 会社を笑顔で明るい雰囲気に保ち、社員が楽しくエネルギッシュに働ける環境を作る。
- 経営者が本気で利益を追求して方針を立て、計画を実行する。
の基盤があってはじめて実現すると考えます。
--一人当たり人件費が上がり、労働分配率が下がっているというアメディアのここ3ヵ年の状況を説明。
4 私の目標
1.稼ぎのプロになりたい
社員にお金の心配を全くかけない経営者を目指します。
--会社の経営の厳しさを伝え、社員に我慢を強いるような場面にもう決して遭遇したくありません。
体重のコントロールのように、会社の利益水準を思い通りにコントロールできる経営者になります。
2.世界中の視覚障害者の人生に貢献したい
日本のマーケットのみならず、世界中の視覚障害者に使ってもらえる製品を今後投入して行きたいと考えます。
その際、お金のない発展途上国の視覚障害者に対しては、まず我が社の製品やサービスを使ってもらって、自立して稼げるようになったら代金を支払ってもらうというような、出世払いの仕組みを実現したいと考えます。
3.障害者をこの世から無くしたい
気持ちの上で「私は障害者だ」と感じるような状態を無くすことを目指します。
人生は感情の質ですから、「私は障害者だ」という気持ちになる場面が0になれば、それは実質的に障害者が居なくなったことを意味します。
この目標はあまりにも大きいので、私が生きている間の目標ではなく、アメディアの数百年後の目標として、後継者に伝承しつづけて行きます。
5 人生観
- 人生は時間でできている。
お金はいくらでも増やせますが、時間は決して増やせません。
- 人生は感情の質である。
怒ったり不満な気持ちを抱いたりするのは、自分で自分を不幸にしていることにほかなりません。
普通のことに感謝し、良いことを探して一緒に喜びましょう。