2008年1月26日
日出町役場主催の催し「退職後の過ごし方」での講演
私の略歴
1. プロフィール
1958年1月28日、静岡市生まれ。
生まれつき弱視、6歳で完全失明。
静岡盲学校小学部・中学部を経て東京教育大学附属盲学校高等部に入学。
1977年に麗澤大学ドイツ語学科に入学。
1982年4月から4年間、麗澤高等学校で英語の非常勤講師として勤務。
1986年7月に国立身体障害者リハビリテーションセンター入所、同敷地内の国立職業リハビリテーションセンター電子計算機課を経て1987年12月に独立。
当初、「コミュニケーションサービス」の屋号で視覚障害者向けのパソコン販売とサポートを行う。
1989年2月に株式会社アメディアを設立。
現在、
- 株式会社アメディア 代表取締役
- 東京中小企業家同友会理事・障害者委員会 委員長
- 日本盲人社会福祉施設協議会理事・盲人用具部会長
2. 子供・学生時代
父と母が共働きだったため、幼少時代は保育園。
母が夜間の勤務のため、父が出勤した後もう一度寝ることが多く、保育園は休みがち。
保育園では視力が弱く、競争的な場面では常に劣等性。
静岡盲学校に入学後、寄宿舎に入る。
劣等性から優等生に変身。
キックボールで遊ぶ。
中学部まで静岡盲学校で過ごし、高等部から東京。
優等生から普通の生徒にランク下げ。
大学で再び目の見える同世代の仲間と共に学ぶ。
3. 教員から企業家へ
麗澤大学卒業後、1年間のブランクを経て麗澤高等学校に奉職。
4年間の教員生活を経て、国立職業リハビリテーションセンターでプログラミングを学ぶ。
1年半のコンピュータの勉強ホ経て視覚障害者に対するパソコン販売・サポートのコミュニケーションサービスを1987年12月より開始。
1989年2月14日に株式会社アメディア設立。
アメディアの経営を通して学んだこと
1. アメディアの略歴
- 「アメディア会社案内」記載の略歴を元に説明。
2. 夢は実現する
アメディア設立前より、「視覚障害者読書権保障協議会(略称「視読協)」という団体で、「読書権」をスローガンに公共図書館の障害者への開放運動を行なっていました。
1983年度からの5ヵ年計画で、当時の通産省工業技術院が5億円の巨費を投じて音声読書機の開発に取り組みました。
このとき、私は視読協の代表として工業技術院との交渉に何度も参加し、視覚障害者団体として要望を伝えてきました。
公共図書館の開放運動はいわば視覚障害者の読書権を人的サービスで保障して欲しいという要求でしたが、この読書器の開発というストーリーは、技術の発達でこれをカバーしようというものでした。
結局、工業技術院の音声読書機は市場には出ませんでしたが、この頃から「あんな読書機が自分で作れたらいいなあ」という夢を抱くようになりました。
- 音声読書機開発の歴史を少しお話します。
1995年秋にWindows95 が発売され、OSの能力がグンとアップしました。
それに伴い、文字を認識するソフトウェアがソフトウェアの部品としてリコーから発売されました。
この段階で、アメディアにも音声読書機が作れる技術的基盤が整い、早速その開発に取り組みました。
「ヨメール」が発売されたのが1996年9月、そのすぐ後の11月に「よみとも」というライバル商品が発売されました。
「ヨメール」はパソコンが使えない人でも使えるように最大限の配慮をして作りましたが、やはり、それでも「パソコンだから」ということで敬遠する視覚障害者が多いということで、2003年8月に単体型の読書機「よむべえ」を発売しました。
今では、ソフトウェアの「ヨメール」よりもこの単体型読書機の「よむべえ」の方がはるかに売れています。
かくして、1980年代半ばに私が抱いた夢は、実現したわけです。
- 夢→願望→目標→達成
という流れがあります。
3. 頑張るだけでは成功しない
これまでの経験を振り返ってみると、私はこれまで随分頑張ってきたと思います。
会社設立当初は社員が視覚障害者しかおらず、事務処理すべてを自分でこなさなければなりませんでした。
見積書、納品書、請求書、領収証など、すべての書類を自分で音声ワープロで書き、印鑑を押す位置はだいたいの感で判断して押しました。
手紙を出すときに宛名書きが自分でし易いように、点字とカタカナが併記される点字プリンターを購入して、宛名書きソフトを自分でプログラムしてやりました。
当然、お客さんのご自宅にパソコンを持ち込んでセッティングしたりソフトウェアをインストールしたりなど、最初はすべて自分で行っていました。
あれやこれやで労働時間は非常に長くなっていました。
それで、その癖が止まず、社員を雇うようになっても、何かしら仕事を見つけていつも仕事をしている状態が永く続きました。
この状態は、自分自身でも頑張っているように感じていましたが、会社の利益・収益という面では何も鉤を相していませんでした。
いつしか、「自分は頑張っているのだから、全力を尽くしているのだから会社が赤字でも仕方がない」という気持ちを持つようになりました。
アメディアの仕事は福祉産業であり、儲けを目的とした一般のビジネスとは異なるので、儲けが出ないのは仕方がない、という別の理由を心の中で育てるようにもなっていました。
しかし、今から振り返ると、この状態は経営者としてはとてもよくない状態だということがわかります。
アルコール中毒が一つの病気だとすれば、当時の私の状態は、「忙しい中毒」とでもいったらよいかも知れません。
忙しくしていないと不安でならないという状態、そして、その状態を「頑張っている」と認めるわけです。
4. 経営には理念が必須
さて、忙しいだけで利益が上がらない状態から脱却する方法についてお話しましょう。
それは、ビジョンを持つこと、ビジョンに向かって自分の行動を組み立てることだと思います。
そして、それは、事業を経営しているのなら、「経営理念」ということになります。
この経営理念の大切さを教えてくれたのは、中小企業家同友会です。
私は2002年の12月に東京中小企業家同友会に加入しました。
当初、同友会の中に障害者問題委員会があるということで、そこで活動するつもりで入会しました。
で、もちろん、今でもこの障害者の委員会で活発に活動しています。
今年の秋には、障害者問題全国交流会を東京で行なうことになっています。
ですが、中小企業家同友会に入会して一番よかったことは、それまでの自分が経営者としてはいかに未熟であったのかを痛感することができ、自分改善のための具体的なステップに入ることができたことです。
中小企業家同友会では、しっかりした「経営指針」を作ってよい経営を実現しようと努力しています。
「経営指針」とは、経営の羅針盤のことです。
羅針盤がしっかりしていなければ、目先の利益や経営環境の激変の大波に揺られて向かうべき方向を見失ってしまいます。
同友会の説く「経営指針」は
- 経営理念
- 経営方針
- 経営計画
の3段階の骨組みからなります。
その中で、もっとも重要なのが経営理念です。
そして、その経営理念を、まずは自分自身の心に、そして次に社員の心の中にいかに浸透させていくのかということが会社の成功に大きく響きます。
おかげさまで、アメディアは私が同友会に入会した当時を含めて2年ぐらいがどん底で、今は回復基調にあります。
ちなみに、アメディアの経営理念は、次のようなものです。
情報とテクノロジーで障害者の自立支援!
私たちは、情報とコミュニケーションで人々がつながり、
技術と交流で障害者が自立できる環境づくりを促進します。
5.身体と心の体調がすべての基盤
身体の健康が大切なことはどなたも当然のこととお考えだと思います。
それと同じように、心の健康状態を良好に保つこともものすごく大切です。
これは良い経営を行なう上でも非常に大切です。
心に不満が鬱積していたり、いらいらした状態、落ち込んだ状態が続いていると、経営理念は単なるお題目のように感じられてしまいます。
これは、社員がそう感じるというだけでなく、経営者自身でさえも、自分の心の状態が悪いと、経営理念が素直に受け止められない状態、経営理念と心が乖離した状態になります。
今、商品の不当表示などで企業の倫理観が問われるニュースが頻繁に聞こえてきます。
でも、それらの中のよく知られた会社には、非常に素晴らしい経営理念があることがほとんどです。
良い経営をしていた時期には、その経営理念が社長を始めとする社員全体に浸透していたと思います。
社会的に問題になるようなことが浮彫にされる時点では、経営理念が社員の心の中に浸透していない、場合によっては社長の心にも浸透していないのだろうと思います。
そして、立派な経営理念を素直に受け止め、その方向で前向きに行動しようというモティベーションが高くキープできるのは、心の状態が良いとき、つまり心の体調が良いときなのです。
ですから、社員一人一人の心の体調が、会社経営全体に影響を与えます。
そこで、心の体調が良い状態を考えてみましょう。
- 気持ちがうきうきしているとき、
- 気持ちが明るいとき、
- 物事を前向きに捉えられるとき、
- 批判を受けても改善のためのよいヒントだと受け止められるとき、
- クレームなどの厳しい口調での発言を受けても、反感や怒りの気持ちが沸いてこないとき、
- 差別的な待遇を受けても不満の気持ちにならないとき、
上記を包括すると、
A.あらゆることを抱擁できるとき、
B.まず相手の気持ちを考えられるとき、
そして、そのような心の体調に自分自身で整えるためには、出来事に対する自分の反応を少し間を取って自分自身で意識して選択するように努めることです。
ということで、いろいろとお話させて頂きましたが、私自身、このような心の状態に自分を自制しようと心がけ始めたところです。
私の新年の抱負として、
- 穏やかな心ですべての自体を受け止める。
- にこやかな態度であらゆる人に接する。
を目標に上げました。
これは、上記の「心の体調」を良い状態に保てたときに得られる結果だからです。
そして、この心の状態が、ひいてはアメディアの事業の成功につながると信じています。
皆さんとの交流
1. 人を幸せにしないビジネスはない
- アメディアのビジネスを例に取る。
- 皆さんのこれまでの仕事またはこれからの仕事を訊ねる。
- それぞれの仕事に対して、「人を幸せにする」ということに焦点を当てる。
- トヨタ、日立、IBM、三井住友銀行、ローソン、ユニクロなどなど
- ビジネスが競争だとするならば、人を幸せにすることで勝ち負けを争っている。
2. 若者の心の体調に愛の手を
- 若者はまだ試練を経ていない。
- 試練を経るごとに人の心は強くなる。
- 試練を経ていない人に突然大きな試練が襲ってくると、耐えられなくなり、自殺にいたることもある。
- 岡崎知美さんのインタビューより、「特に緊張はしませんね。自分のベストを出すことしかできませんから。」
- 長く生きてきた人は皆試練を乗り越えて生きてきた人手ある。
- よって、高齢者は若者に安心と勇気を与えられる。
- つらいときにはその若者の気持ちを受け止め、その若者が許容できそうなレベルでのアドバイスをしてあげてください。